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これから5回にわたってJGI−Japanニュースレターに掲載した現地レポート(みえのキバレ日記)を紹介します。
ここウガンダ・キバレ国立公園にやってきて、早いもので三ヶ月が経とうとしています。私のキャンプは国立公園の中にあり、毎朝コロブスモンキーの鳴き声や様々な種類の鳥の鳴き声で朝が始まります。ジャングルの中のシンプルな住処ですが、物質にあふれた環境から自分を解き放ち、こういった環境に住むことで、今まで見失ってきた何かが見えてくるような気がします。今雨季が始まったばかりで、緑は深く、鮮やかです。キバレ国立公園にはチンパンジーを含めた13種類の霊長類が住んでおり、その種類の多さは世界でもトップクラスだと言われています。毎日いろいろな種類の動物たちを目にすることが出来ます。
さて、JGI-ウガンダの進めているこのプロジェクトは、キバレ国立公園を取り巻く8つの学校を舞台に繰り広げられています。今学期私が教えているのは3つの学校で学習する5学年(11歳―13歳)の生徒、合計約250人です。教える内容としては、生物学の基礎的な内容に環境保全の心得を織りまぜたようなもので、カリキュラムを通して5つの「ヒミツ」を伝えていきます。その「ヒミツ」というのは以下の内容です。 1.全ての生き物は太陽のエネルギーに支えられている: “All Life Depends on Energy from the Sun” 午後は学校へ戻り、教室での授業を行います。
このカリキュラムが終了すると、実際に子供たちが中心になり環境、地域社会、動物のために何かを行動に移す、ルーツ&シューツ的なプログラムを展開します。カリキュラムを通じて学んだことを実際の行動に移してもらい、子供たちの意識を向上させるのが目的です。 小学校で教えながらたくさんの風景を目にしてきました。まず一番目についたのは、一クラスの人数があまりにも多すぎるということです。どの学校も一クラスに60人以上の生徒たち、ひどい場合は一クラスに100人です。校舎はコンクリートの部屋に木の窓が三つ、木の机にぎっしり生徒が詰め込み状態に座っています。暑い日は換気も悪く、学習するのにとてもよい環境とはいえません。生徒たちはノートやペンすら買うことのできない子どもたちが多いです。一応義務教育なのですが、学校へくる事の出来ない子供が40パーセントもいるそうです。その子供たちのほとんどは家事や子守をしなければならず、教育が十分に受けられない状態にあります。 何よりもウガンダの子供たちの好奇心、エネルギーには驚かされます。子供たちとの交流から毎日多くのことを学んでいます。学びたいこと、吸収したいことがたくさんあるのに、時にそれをすることが許されない環境にいる彼らに、私は何が出来るだろう?自問自答する毎日です。
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野生チンパンジーとの遭遇
ある日の夕方、同じキャンプに住む研究者から「チンパンジーのグループが近くに来ている、あのイチジクの木に来ている」という情報を聞きつけました。ですでに一ヶ月以上キバレにいて、まだ一度もチンパンジーに会うことができないでいた私にとって、それはとても嬉しいニュースでした。そして早速次の日の朝六時半、夜明けと同時にその木の下で待つことにしました。すると、木の上の方でイチジクをほおばる一人のチンパンジーの姿を見つけました!そして同時に、近くから「ウーホー、ウーホー」パント・フートが聞こえてきました。私の心臓はドキドキ、声のする方角にむかって森の中をゆっくり歩いていくことにしました。しばらくいくと、私の立っていた小道の近くを一人、二人と、チンパンジーがイチジクの木の方角へのしのしと歩いていくのが見えたのです。チンパンジーたちはイチジクの木に上っていきます。私は、初めての野生チンパンジーたちとの遭遇に感動し、思わず涙ぐみました。グループは全員で9人くらい、リーダー格だと思われる体の大きな男性のチンパンジーの姿も見えました。みんな美味しそうにイチジクを食べています。ときにはイチジクの取り合いで大喧嘩をしている様子も見ることが出来ました。キバレのチンパンジー、とくに私の住むキャンプにやってくるグループは人に慣れているので、とても近くで見ることが出来ます。
残念なことに、そのグループのうちの少なくとも3人は罠にやられて手足が不自由なチンパンジーたちでした。アフリカの他の地域と同様に、ここキバレでも密猟者が仕掛ける罠の問題は深刻です。主にイノシシやダイカー(カモシカの仲間)などが狩猟対象なのですが、金属製のワイヤーを使ったはね罠が仕掛けられており、地上を歩くことの多いチンパンジーがこの罠にかかってしまいます。大人のチンパンジーですと、罠を壊して逃れることも多いのでしょうが、手足にひどい傷を負ってしまいますし、ときには指や手首から先全体を失うことも珍しくありません。これまでの調査では、ウガンダに住む野生チンパンジーの25%が罠のために身体が不自由だと推測されています。私は、毎日の小学校の授業でもその問題について子供たちと考えるようにしています。 その日以来、私は毎朝そのイチジクの木の下でチンパンジーを待つことにしました。あるときは私が到着するよりも早くに来て木の上に座っていたり、別なときには違うイチジクの木に集まっていたりしました。それから一週間ほどすると、そのあたりのイチジクを全て食べ尽くしたのか、グループは遠くへ移動していきました。短かったとは言え野生チンパンジーたちとの時間、私は一生忘れないでしょう。
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ンガンバ島チンパンジー・サンクチュアリー ジェーン・グドール・インスティテュートのウガンダ支部は、キバレ環境教育プログラム(註1)を始め、ウガンダ国内における多くの環境・野生動物に関するプログラムを運営していますが、一番に力を入れているのが、ンガンバ島チンパンジー・サンクチュアリーという、孤児のチンパンジー達の保護施設です。 このサンクチュアリーには、JGIウガンダオフィスのあるエンテベからボートに乗ってゆきます。ビクトリア湖をモーターボートで約45分、チンパンジーたちの楽園、ンガンバ島に到着です。
このサンクチュアリーには、現在約40人のチンパンジーが暮らしています。皆、密猟により親を亡くし、生きる術を見失っていた時に政府から捕獲され、ここに連れてこられました。ほとんどが隣国のコンゴにおけるブッシュミート・トレード(註2)の犠牲者です。サンクチュアリーに到着したばかりの時は皆、肉体的にも精神的にも衰弱しています。時には、残酷な光景を目にしたチンパンジーの子供は、精神的な傷が深すぎて死んでしまうときもあります。そんな子供たちは、サンクチュアリーで働くウガンダ人のスタッフに介護され、少しづつ癒され、回復してゆきます。 「サンクチュアリーの主要スタッフの一人、スターニー。島を訪れる人に、チンパンジーの生態や保全に関する話を楽しく分かりやすく話してくれる」 (c)堀内美江 まだ親離れしない幼児のチンパンジーは、人間が母親代わりになり、親離れするまで面倒をみます。その他の子供・大人は、食事の時間以外はほとんどの時間を森の中で仲間たちと過ごします。皆出来るだけ野生の自然環境に近い状態で暮らしていますが、一度野生の生活を離れて人間と暮らしたチンパンジーが再び野生に戻るのはとても難しいことです。孤児チンパンジー達の将来について、どうすれば一番よいのか、議論が繰り返されています。 「食事の時間を終え、森に戻ってゆくチンパンジー達」 (c)堀内美江 新しくサンクチュアリーにやってくる孤児の数は年々増加する一方。ンガンバ島にやってくるチンパンジーの数も後を絶ちません。その要因であるブッシュミートやペット貿易といった問題に、早急に取り組まなければなりません。ンガンバ島での一日は、私に多くのことを教えてくれました。 「ンガンバ島では多くの出会いがありました」 (c)堀内美江 ンガンバ島サンクチュアリーについての詳しい情報は、以下のホームページでご覧ください(英文)。http://www.ngambaisland.org
(註1)JGIウガンダの運営する、ウガンダ西部・キバレ国立公園における環境教育プログラム。公園周辺の8小学校における五年生対象(前号のニュースレター参照) (註2)往来の持続可能な狩猟とは異なり、商業的に展開される野生動物の狩猟と取引き。特に中央アフリカでは年間百万トン以上の野生動物の肉が売買され、食されているという(Wildlife Conservation Society)。
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Maxの話:仕掛け罠の問題 キバレ国立公園のチンパンジーを取り巻く問題はさまざまですが、仕掛け罠の問題はとくに深刻です。仕掛け罠は、もともと密猟者が国立公園に忍び込み、ヤブイノシシやレイヨウ(カモシカの仲間)を捕らえるために地面に仕掛けるのですが、地上を歩くことの多いチンパンジーはうっかりこの罠に足や手を入れてしまいます。細いワイヤーや針金で出来たこの罠は、手や足に食い込んで簡単に取れるものではありません。
このチンパンジーも指を罠に引っ掛けてしまったのでしょう。(c)堀内美江
必死に取ろうともがき、手や足を引っ張れば引っ張るほど、罠は深く食い込み、結果として手や足の一部がもげてしまうこともあります。ひどい場合には傷口の悪化から体調を崩し、死んでしまうチンパンジーも少なくありません。 ある昼下がりのこと、ちょうど森から戻ってきた野生チンパンジー研究者から悲しい知らせを聞きました。チンパンジーの幼児が仕掛け罠にかかり、足を失ってしまった、というのです。そのチンパンジーは5歳のMax(マックス)という名前の男の子でした。森を歩いているときに仕掛け罠にかかり、足がもげてしまいました。痛みと悲しみから泣き続けるMax。自分のもげた足を5日間もお腹に抱え、過ごしていたのだそうです。6日目にとうとう諦めたのか、Maxはもげた足を手からポトッと地面に落としました。みんなMaxの行く末が不安でしたが、幸い素晴らしい母親に恵まれたMaxは、その後も片足でしっかり生きています。その事件のあった一ヵ月後に森でMaxと対面しました。足が不自由なためほかの仲間たちより出遅れてしまうものの、とても元気な様子。私もホッとしました。
5歳のMaxは、自分の足を5日間手に持ったままでした。悲しそうで空虚感にあふれた表情が印象的です。 キバレ国立公園で研究対象になっているチンパンジーの25%は、仕掛け罠によりなんらかの障害を負っているという報告があります。アフリカにあるほかの多くの国立公園と同様、キバレ国立公園でも密猟者による仕掛け罠の問題は深刻化する一方です。ここ数年、野生チンパンジー研究チームが現地の住人を雇い、仕掛け罠回収を始めましたがなかなか追いつきません。ある日たまたま出会った男性は元猟師だったのですが、チンパンジーの悲惨な状況を知り、心を改めて仕掛け罠の回収作業をする仕事についた、と話してくれました。地元の地域社会、そして地方行政、さらには国ぐるみでこの問題に対する教育・啓蒙活動を積極的に進めていく必要があるでしょう。
ウガンダ野生動物局のレンジャー達は国立公園への密猟者の侵入を防ぐためにパトロールを続けています。(c) 堀内美江
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イルフーラ村の女性たち ウガンダ滞在中に多くの「出会い」がありましたが、イルフーラ村の女性たちとの出会いは特別でした。イルフーラ村の小学校で教えるのは週三回、キバレ国立公園から車で片道45分、でこぼこの坂道をゆっくり登ってゆきます。キバレ国立公園の一角が一望でき、土地の肥沃な村です。「この村の女の人たちは、働き者なのよ」と同僚のマーガレット。 はじまりはある日のちょっとした立ち話でした。通りがかりに籠を編む女性たちの姿が目に入り、声をかけてみました。週数回、近所の女性たちが集まって籠を編んでいるとのこと。夫の収入だけでは必要最低限の生活をすることも困難なため、この籠を売ることができれば生活が助かるのに、と言っています。ふと彼女たちの編む籠を見ると、デザインがとても凝っていて、質の高いものでした。この立ち話の日を境に、毎回イルフーラ村を訪れる度にお昼を一緒に食べるようになり、友情の輪が広がり始めました。
籠を編むイルフーラ村の女性たち(c) 堀内美江 どうにかして彼女たちの作る籠を売ることが出来ないか。最初は国立公園を訪れる旅行者や海外からの研究者たちを相手に売ってみることにしました。すると、よく売れること!注文も殺到するようになりました。籠のデザインをバラエティ豊かにするために、私も町の「市場調査」に出かけいろいろなデザインを提案します。 ウガンダでは社会的・経済的に女性の地位が低く、彼らは家事・子育てに加え、生活していくためのあらゆる雑用をこなさなければなりません。教育を受ける機会に恵まれることはほとんどなく、それが原因で女性が経済的に自立することが困難になっています。イルフーラ村の女性グループは、限られた自由な時間を使い一生懸命籠を編んでいます。その努力は彼女たちとその家族だけでなく、地域社会全体を活性化しつつあります。籠の材料は染料やバナナの木の繊維、粟の茎などすべて地元で手に入るものばかり。こうした現地の材料を使った自然素材の籠は、材料の採取から加工・完成まで、環境に悪い影響を与えることはありません。そして、フェア・トレードを通じて得られる籠の収入は、直接彼女たちに渡されます。 この籠を買うということは、ウガンダの小さな村に住む女性とその家族たちをさまざまな意味で助けることになります。籠を編むことは、家族や地域社会の収入源になるだけでなく、彼女たちに自尊心を与え、自立するきっかけを与えます。経済的理由で進学を諦めていた子供たちには、学校へ行けるチャンスを与えます。いわゆる先進国に住む私たちの消費活動が、目に見えなくても現地の生産者の生活に大きな影響を及ぼすということ、そういう私たちの消費者としての責任は多大だと実感します。日常の消費生活、自分の買うものがどこから来て、誰がどのように作っているのか、目を向けてみると、いろいろなことが見えてくるかもしれません。 (註1)フェア・トレード:発展途上国の底辺で働く人達から直接、かつ継続的に、フェアー(適正)な値段で商品の買いとりを行うこと。それにより経済的活動から適正な利益を得ることができるようになり、貧困のサイクルから抜け出せるようにすることが目的。
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内戦後のコンゴ民主共和国に希望の新芽:「地域社会主体の保全プログラム」 これから、数回にわたり、JGIのアメリカ本部(JGI-USA)の運営する保全プログラムを紹介します。JGI-USAは、アフリカ各国において保全プログラムを運営していますが、その一つが、2003年に始まった、コンゴ民主共和国における「地域社会主体の保全プログラム」です。 コンゴ民主共和国
そんな自然豊かな国である一方で、貧困は一向に改善されません。国連の人間開発指数によると、コンゴ民主共和国は世界173の対象国中153位(注1)です。実に、世界で最も貧困な国の一つなのです。 JGI-USAの活動
(C)DFGFI
絶滅の危機に瀕している野生チンパンジーや東ローランドゴリラ、その他稀少な野生動物が数多く生息していると推測されていることから、コンゴ民主共和国の中でも生物多様性において特に重要な地域として、アメリカ開発局(US−AID)の“Central African Regional Program for the Environment (CARPE)”(注2)において、「特別地域」に指定されています。 2003年からJGI-USAの参加している大事業、「地域社会主体の保全プログラム」には、コンサベーション・インターナショナル(CI)やダイアン・フォッシー・ゴリラ基金(DFGFI)などの国際NGOもパートナーとして参加しています。このプログラムが特有なのは、8つの現地草の根NGOの結集体である「ウガデック」という組織(Union of Associations for the Conservation of Gorillas and Community Development of the Eastern Democratic Republic of the Congo)と協力して活動が行われているというところです。ウガデックは、上記地域の8部族からなるムアミといわれるリーダー達を中心に、自然資源を守るために外からの介入無しに現地の人たちの努力のみで作られた組織です。不安定な政情にも関わらず、幸いこの地域ではムアミが影響力を持っていたため、その社会情勢は比較的安定していました。「地域社会主体の保全」とは、その文字通り、外部からの押し付けで環境保全・開発をすすめていくのではなく、現地地域社会が問題を理解し、それを改善する必要性を感じ、自発的に活動に取り組んでいくことを意味します。ウガデックが主体になってこのプログラムを進めていくことは、地域社会主体の保全を実現するのに重要な役割を担っているのです。 JGI-USAは、大型類人猿の生息地を守るためにウガデックなどの地域社会と協力し、マイコ国立公園とカフジ・ヴィエガ国立公園を結ぶコリドー・「緑の回廊」を作ること、そして同時に周辺地域社会の生活向上の手助けをすることを目標に活動しています。野生生物・自然環境を保全することと、現地地域社会の持続可能な発展を目指す、一石二鳥のプログラムといえます。具体的には、コリドーに点在する約60の村で、健康医療サービスや地域の経済活動発展のためのサービスを提供しています。リプロダクティブ・ヘルス(注3)の向上、マラリア予防、田舎のクリニックで提供できる薬の供給、そして家畜小屋や養魚場の設置をおこない、農業セクターを活性化するよう努力しています。
(C)George Strunden JGI-USAの運営するプログラムについてもっと知りたい方は、JGI-USのホームページを是非ごらんください。http://janegoodall.org(英文のみ) 情報提供:JGI-USA (注1)
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コーヒー一杯がゴンベのチンパンジーたちを救う? ジェーン・グドール博士ゆかりの地、ゴンベ国立公園は、タンガニーカ湖畔に残された小さな森のオアシスです。グドール博士が野生チンパンジーの研究を始めた1960年代にはうっそうと木々が茂っていた公園一帯は、人口増加や難民の流入が原因で、過去20年間で大きく変わってしまいました。今では公園を残して周囲の森や山はほとんど丸裸になってしまっています。 チンパンジーたちを救うには、ゴンベと近隣の森林地帯をコリドー(回廊)でつなぎ、彼らの生息地域を広げる必要がある、といわれています。この10年間、JGIはゴンベ周辺に住む地域社会の人たちと一緒に森林再生に取り組んできました。このTACARE(タカレ)というプログラムは、ゴンベ国立公園に隣接する残された森を保全・再生し、ゴンベのチンパンジーたちが住むことのできる森を広げていこうという試みです。植林以外にも、地域に学校を建てたり、保健衛生、飲料水の確保、農業技術の向上、環境教育など、さまざまな分野で地域社会と共に活動してきました。自分たちの森を自分たちの力で守っていくことは、チンパンジーや自然環境を保全するためだけでなく、自分たちの社会的・経済的豊かさの向上にも不可欠であることを、地域社会は経験から学んでいます。 最近、森林再生をさらに活性化するために、TACAREでは新しい試みがなされています。 現在、ゴンベに隣接する町キゴマでは、コーヒーを試飲する設備などを整えて、着々と準備を進めているところです。 近いうちに、JGIが作った「ジェーン・グドール コーヒー」がアメリカ全土で発売されます。日本でもこのコーヒーが早く飲める日がくるといいですね。このコーヒーを飲んで、ゴンベのチンパンジーたち、TACAREの村々の住民たちについて考えてみませんか。 (事務局補足) 現在この「ジェーン・グドール コーヒー」が日本で購入できるようになりました。 製造販売元のグリーン・マウンテン・コーヒー・ローターズの輸入代理店、 サウザリーコーヒー&プレートより「ゴンベリザーブコーヒー」の名前で販売されています。 タンザニアン・ゴンベ・リザーブ Tanzanian Gombe Reserve 283g 価格 : 1,650円(税込) ご注文は サウザリーコーヒー&プレート WEBSHOPまでお願いいたします。 http://shop.southerly.co.jp/shopdetail/002002000005/004/000/order/ (クリックするとショップのページが開きます)
(c)LilianPintea
(c)LilianPintea カリンジ村のコーヒーとバナナの木
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10年ぶりに第二の故郷に帰郷した。コンゴ民主共和国・赤道州にあるビーリャ(現地の言語でボノボのこと)の聖地・ワンバ、世界で唯一野生のビーリャが高密度で生息している地域である。少なくとも10年前までは。
私はワンバでビーリャの子どもと出会った。おそらく2歳を少し過ぎたくらいだろう。彼はみなしごである。この森から約100km離れた森で母親が村人に撃ち殺され、ひとりだけ取り残されたのである。母親の肉は村人の腹におさまったが、2歳の子は食卓にのぼるには幼すぎた。下手人はその子を小さな木箱に閉じこめて飼っていた。いずれ町で売りさばくつもりだったのかもしれない。私は躊躇なくその子を没収し、ボンと名付けた。
その日からボンと私のワンバでの生活がはじまった。最初はあらゆる人間に怯えていたボンも、私が彼に危害を与えないことをすぐに悟り、しだいに慣れてきた。本来、ボンくらいの年齢の子どもは、一日中母親と共に過ごす。食事や休憩のときは母親のひざ膝の上に座ったり、母親の近くでほかの子どもと遊んだりしている。移動のときは母親のお腹にしがみつくか、背中に乗って運ばれる。夕方になると、母親が樹上に小枝と葉を折り込んで作った柔らかいベッドで、母親に抱きかかえられて眠る。
しかし、野生のビーリャを追って毎日森に入らなければならない私は、昼間ボンと一緒にいることができない。私が森に行っている間、ボンは家の裏に作られた小さな小屋の中で一人留守番することになる。私が森から帰ると、ボンは甲高い声で私を呼び、盛んに餌をねだった。彼はバナナやパパイヤなど甘い果物が大好物だったが、私はアフリカショウガの実、マメ科植物の果実、クズウコン科植物の髄など、野生のビーリャが食べているものも与えた。
私は葛藤していた。精神的に不安定なボンを母親のようにしっかり抱きしめてやりたい。でもいずれ彼とは離れなければならない。私は彼の母親にはなれない。彼に母親を失う苦痛を、二度も味わわせることはできない。情がうつれば私自身も辛くなる。ボンを没収したときから、私は彼を首都・キンシャサの孤児院に連れていくことに決めていた。いずれ彼には新しい場所で、新しい仲間との幸せな生活が訪れるはずである。彼との関係に一線を引くことはお互いのためなのである。
そうはいっても、雨が降って寒い日などはボンを抱いて膝の上でゆっくり眠らせてやることもあった。しかし、普段はなるべくボンとの接触をひかえ、彼が甘えてきても抱かないようにしていた。そんなとき彼は、私の側で膝を抱えて座り、上目遣いで私の行動をずっと観察していた。「こいつはいったい何者だろう、敵なのか味方なのか?」そんなことを考えていたのかもしれない。
私がワンバを去る日が近づいていた。そんなある日、森の中でビーリャを観察しているとき村から太鼓の音が聞こえてきた。大木の幹をくり抜いて作った太鼓は、乾いた音を響かせ、その音はときに30km近くまで届く。ここではこの太鼓が通信の手段なのである。つまり電話と同じ。都会のような雑音がない熱帯雨林だからこそなせる技なのだろう。太鼓の音は「ボンがいなくなった」ことを伝えていた。そして私に「早く村に戻れ」とも。私は途中で観察を打ち切って村に戻った。
竹と木性の蔓で作られていたボンの小屋は、縛っていた蔓の一部がほどかれ、竹と竹の隙間が広げられていた。どうやらボンはそこから脱出したらしい。家の裏側にある森に入ったことは間違いない。早々に捜索隊が組織され、ボン探しがはじまった。森についてまだ多くを知らないボンが、たった一人森で生きていくことは不可能に近い。森には予測できないような危険が無数に潜んでいる。だいいち彼は森の食べ物をほとんど知らないし、自分でベッドを作ることもできない。寒い夜、温もりを与えてくれる母親もいないのである。
捜索隊は、森の中のところどころに残されたボンの新しい足跡や彼の臭いをたどって追跡した。そして、アフリカショウガや植物の髄などの食痕も次々に発見した。いずれも私がボンに教えた食べ物ばかりである。しかし、時間が経つにつれボンの痕跡は少なくなり、姿を捉えるには至らなかった。巨大な熱帯雨林中であの小さな躰を見つけだすことは至難の業である。
結局ボンは発見されなかった。 ワンバを去らなければならない日、私は最後にもう一度ボンの行きそうなところを歩きまわり、彼の大好物だったバナナを置き土産にした。彼はなぜ姿を消したのだろう?母親がまだ森にいると思ったのか、あるいは私を探していたのだろうか?それとも、人間というおそろしい動物がすむ村に嫌気がさして、彼が生まれた、そして本来彼が存在すべき森に帰ったのだろうか?
戦争と10年の歳月は、目立ちはしないがワンバに変化をもたらしていた。私の親しかった友人を奪い、私の愛した原生林を破壊し、私の好奇心をかき立てる多くの動物を消し去っていた。以前は6集団、300人以上のビーリャが暮らしていたワンバの森も、今は1集団わずか23人のビーリャが確認されているだけである。人間活動によって多くのビーリャたちが住む場所を追われ、近代的な狩猟わな罠で手足を失い、さらには文明の火器によって命を落としている。第二、第三のボンはあとを断たない。それどころか、彼らがこの地球上から消滅してしまう日はすぐ目の前に迫っている。私たちはそれをくい止めることができるだろうか?今、私たちにはいったい何ができるのだろうか?
熱帯多雨林は劣悪な環境で、そこで暮らす人々は常に過酷な生活を強いられていると信じ込んでいる人は少なくない。しかし、本当に彼らの生活は辛いものなのだろうか。多くを求めず自然に強く依存して生きてきた人々にとって、多彩な恵をもたらす熱帯雨林はまさに宝の山だったはずである。その多様性こそが、ビーリャをはじめとする多くの生物を育んできたはずである。近年新たに吹き込んだ文明の風は、そこで暮らす人々に一見豊かに見える物質文化と安定した生活というこくう虚空の欲求をかき立てる。この情報化時代において、安易に開発を否定することはできない。しかし、過剰な欲求によってもたらされる欠乏感=貧困は、人々の心までも変えようとしている。
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