Jane Goodall(ジェーン・グドール)博士について
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ジェーン・グドールは1934年イギリスのロンドンで生まれました。 ジェーンは小さな頃から動物が好きで,よく裏庭で鳥やリスを日が暮れるまでじっと観察している少女でした。また,ターザンやドリトル先生の本を読んでは,動物に囲まれて暮らすのを夢見ていました。 |
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動物に対する飽くなき興味をいだいたまま大人へと成長したジェーンは,友人を頼ってケニアに渡り,そこで人類学の権威ルイス・リーキー博士と出会います。 当時リーキー博士は,古代人類化石を発掘して私たち「ヒト」の祖先を研究するうえで,人類に一番近い存在である類人猿の研究はヒントになるだろうと考えており,類人猿のフィールド調査を行う人材を探していました。 (ルイス・リーキー博士は後に野生ゴリラの保護活動で著名なダイアン・フォッシー氏の調査支援も行っています。) 鋭い観察力と強靭な忍耐力というフィールド調査に必要な2つの資質をジェーンが備えていることを見て取ったリーキー博士は,資金をあつめ,ジェーンを野生チンパンジーが生息するアフリカへと送り出したのです。 |
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こうしてジェーンは,1960年7月,東アフリカのタンガニイカ湖のほとり,ゴンベにおりたったのです。 イギリスそしてタンザニアの両国の政府をはじめとして,人々は皆,経験も学位も持たない26歳のジェーンが,アフリカ奥地の密林で生活ましてや調査研究などできるわけがないと思っていました。そもそも調査も当初は6ヶ月間の予定でした。
ですが,ジェーンは皆の予想に反して,数多くの驚異的な発見をし,今までヒト固有のものだと考えられていた行動や能力の多くがチンパンジーの社会にも見いだせることを証明しました。 ジェーンの革命的な研究成果によって,現在は国立公園となったゴンベの地には,ゴンベ・ストリーム研究センターが設立され,40年が経過した今も,多くの研究者たちによって調査研究が継続されています。 |
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とはいえ,ジェーンが調査を開始した当初は,彼女はゴンベのチンパンジーたちに近づくこともできませんでした。
チンパンジーたちがジェーンを見るなりすぐ逃げていたからです。
しかし,ジェーンは諦めることなく,山頂に登っては双眼鏡を使ってチンパンジーを静かに観察し続ける日々を繰り返しました。 徐々にチンパンジーたちは,彼女に慣れはじめ,ジェーンが近づける距離が狭まっていきました。 またジェーンの側もチンパンジーに慣れ,彼らの特長をつかみ顔を見分けることができるようになったので,ひとりひとりに名前をつけてゆきました。 |
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- 「名前をつける,動物の”個性”を感じとる」,現在のフィールド調査では主流になっていますが,当時はこれ自体がすでに型破りな手法だといわれました。 当時の研究者たちは調査対象の個体は番号で呼んでいました。なぜなら,個性・感情は人間だけしか有していないと考えられていたからです。 そのため,ジェーンは初期に論文を投稿した際に,チンパンジーを擬人化しすぎているという指摘を受けました。 もちろん,感情移入しすぎて,事実と調査する側の主観的な解釈とを混同しないよう注意する必要があるのは確かなのですが,しかし,ジェーンがチンパンジーの「心」の深遠さに注目したからこそ,これだけの成果が生まれたということもまた確かなのではないでしょうか。 - |
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そのうち,バナナを取りにデイビット老人がジェーンのキャンプを訪れるようになったのを皮切りとして,群れのチンパンジーたちのすぐそばまでジェーンが近づくことができるようになってゆきました。 そんなある日のこと,ジェーンはデイビット老人が,葉をむしり取った小枝をアリ塚の穴に差し込んで,シロアリを釣り上げているのを目撃したのです。 このニュースは世界中で大きな反響を呼び,ジェーン・グドールの名前を一躍有名にしました。 なぜなら,これまでの科学者たちは道具の使用こそが私たち人間と他の動物とを区別する境界線だと定義していましたが,この発見によってその定説が覆されてしまったからです。 ジェーンからこの報告を受けたリーキー博士は,次のように述べています。 「今や我々人類は,「道具」という言葉を定義しなおすか,「ヒト」という言葉を定義しなおすか,もしくは,チンパンジーをヒトだとみなすか,この3つのうちどれを選択するのか考えなくてはならない。」 |
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