みなしごボン JGI-Japan理事長 伊谷原一(ニュースレターvol.10より)

 

10年ぶりに第二の故郷に帰郷した。コンゴ民主共和国・赤道州にあるビーリャ(現地の言語でボノボのこと)の聖地・ワンバ、世界で唯一野生のビーリャが高密度で生息している地域である。少なくとも10年前までは。  私はワンバでビーリャの子どもと出会った。おそらく2歳を少し過ぎたくらいだろう。彼はみなしごである。この森から約100km離れた森で母親が村人に撃ち殺され、ひとりだけ取り残されたのである。母親の肉は村人の腹におさまったが、2歳の子は食卓にのぼるには幼すぎた。下手人はその子を小さな木箱に閉じこめて飼っていた。いずれ町で売りさばくつもりだったのかもしれない。私は躊躇なくその子を没収し、ボンと名付けた。

 その日からボンと私のワンバでの生活がはじまった。最初はあらゆる人間に怯えていたボンも、私が彼に危害を与えないことをすぐに悟り、しだいに慣れてきた。本来、ボンくらいの年齢の子どもは、一日中母親と共に過ごす。食事や休憩のときは母親のひざ膝の上に座ったり、母親の近くでほかの子どもと遊んだりしている。移動のときは母親のお腹にしがみつくか、背中に乗って運ばれる。夕方になると、母親が樹上に小枝と葉を折り込んで作った柔らかいベッドで、母親に抱きかかえられて眠る。 しかし、野生のビーリャを追って毎日森に入らなければならない私は、昼間ボンと一緒にいることができない。私が森に行っている間、ボンは家の裏に作られた小さな小屋の中で一人留守番することになる。私が森から帰ると、ボンは甲高い声で私を呼び、盛んに餌をねだった。彼はバナナやパパイヤなど甘い果物が大好物だったが、私はアフリカショウガの実、マメ科植物の果実、クズウコン科植物の髄など、野生のビーリャが食べているものも与えた。

私は葛藤していた。精神的に不安定なボンを母親のようにしっかり抱きしめてやりたい。でもいずれ彼とは離れなければならない。私は彼の母親にはなれない。彼に母親を失う苦痛を、二度も味わわせることはできない。情がうつれば私自身も辛くなる。ボンを没収したときから、私は彼を首都・キンシャサの孤児院に連れていくことに決めていた。いずれ彼には新しい場所で、新しい仲間との幸せな生活が訪れるはずである。彼との関係に一線を引くことはお互いのためなのである。 そうはいっても、雨が降って寒い日などはボンを抱いて膝の上でゆっくり眠らせてやることもあった。しかし、普段はなるべくボンとの接触をひかえ、彼が甘えてきても抱かないようにしていた。そんなとき彼は、私の側で膝を抱えて座り、上目遣いで私の行動をずっと観察していた。「こいつはいったい何者だろう、敵なのか味方なのか?」そんなことを考えていたのかもしれない。

私がワンバを去る日が近づいていた。そんなある日、森の中でビーリャを観察しているとき村から太鼓の音が聞こえてきた。大木の幹をくり抜いて作った太鼓は、乾いた音を響かせ、その音はときに30km近くまで届く。ここではこの太鼓が通信の手段なのである。つまり電話と同じ。都会のような雑音がない熱帯雨林だからこそなせる技なのだろう。太鼓の音は「ボンがいなくなった」ことを伝えていた。そして私に「早く村に戻れ」とも。私は途中で観察を打ち切って村に戻った。 竹と木性の蔓で作られていたボンの小屋は、縛っていた蔓の一部がほどかれ、竹と竹の隙間が広げられていた。どうやらボンはそこから脱出したらしい。家の裏側にある森に入ったことは間違いない。早々に捜索隊が組織され、ボン探しがはじまった。森についてまだ多くを知らないボンが、たった一人森で生きていくことは不可能に近い。森には予測できないような危険が無数に潜んでいる。だいいち彼は森の食べ物をほとんど知らないし、自分でベッドを作ることもできない。寒い夜、温もりを与えてくれる母親もいないのである。 捜索隊は、森の中のところどころに残されたボンの新しい足跡や彼の臭いをたどって追跡した。そして、アフリカショウガや植物の髄などの食痕も次々に発見した。いずれも私がボンに教えた食べ物ばかりである。しかし、時間が経つにつれボンの痕跡は少なくなり、姿を捉えるには至らなかった。巨大な熱帯雨林中であの小さな躰を見つけだすことは至難の業である。 結局ボンは発見されなかった。

ワンバを去らなければならない日、私は最後にもう一度ボンの行きそうなところを歩きまわり、彼の大好物だったバナナを置き土産にした。彼はなぜ姿を消したのだろう?母親がまだ森にいると思ったのか、あるいは私を探していたのだろうか?それとも、人間というおそろしい動物がすむ村に嫌気がさして、彼が生まれた、そして本来彼が存在すべき森に帰ったのだろうか?

戦争と10年の歳月は、目立ちはしないがワンバに変化をもたらしていた。私の親しかった友人を奪い、私の愛した原生林を破壊し、私の好奇心をかき立てる多くの動物を消し去っていた。以前は6集団、300人以上のビーリャが暮らしていたワンバの森も、今は1集団わずか23人のビーリャが確認されているだけである。人間活動によって多くのビーリャたちが住む場所を追われ、近代的な狩猟わな罠で手足を失い、さらには文明の火器によって命を落としている。第二、第三のボンはあとを断たない。それどころか、彼らがこの地球上から消滅してしまう日はすぐ目の前に迫っている。私たちはそれをくい止めることができるだろうか?今、私たちにはいったい何ができるのだろうか?

熱帯多雨林は劣悪な環境で、そこで暮らす人々は常に過酷な生活を強いられていると信じ込んでいる人は少なくない。しかし、本当に彼らの生活は辛いものなのだろうか。多くを求めず自然に強く依存して生きてきた人々にとって、多彩な恵をもたらす熱帯雨林はまさに宝の山だったはずである。その多様性こそが、ビーリャをはじめとする多くの生物を育んできたはずである。近年新たに吹き込んだ文明の風は、そこで暮らす人々に一見豊かに見える物質文化と安定した生活というこくう虚空の欲求をかき立てる。この情報化時代において、安易に開発を否定することはできない。しかし、過剰な欲求によってもたらされる欠乏感=貧困は、人々の心までも変えようとしている。

写真1:筆者に抱かれるボン

写真2:クズウコン科植物の茎にかぶりつき、中の髄を食べる

2007年度 実施分

5月12日(土)14時から: 東京文化会館 大会議室にて
・収支報告
・来年度の活動予定についての報告
・理事 平田聡による「ボノボの保護施設を訪ねて」についての報告

 

 

 

 

 

 

2006年度 実施分

4月9日(土)14時から: 東京文化会館 中会議室にて
・収支報告
・来年度の活動予定についての報告
・理事長伊谷原一による「タンザニアにおけるチンパンジーの広域調査」についての報告

 

 

 

 

 

 

2005年度 実施分
4月9日(土)14時から: 東京文化会館 大会議室にて
・収支報告
・来年度の活動予定についての報告
・理事長伊谷原一による「ワンバ村のボノボ」についての報告
2004年度実施分
2004年7月31日・8月1日

7月31日 :林原類人猿研究センターにて
事務局移転のお知らせ

8月1日 :岡山国際交流センター 会議室3にて
今秋のジェーン・グドール博士来日について
・講演会日程および場所の発表
・講演会運営実行委員会の設立

2003年度実施分
2003/05/09(京橋プラザホールにて)
2003/06/06(京橋ホールにて)
2003/07/03(八重洲ダイビルにて)
2003/08/28(パパラギダイビングスクール3階にて)
2003/09/01(東京八重洲ダイビルにて)
2003/09/25(パパラギダイビングスクール3階にて)
2003/10/23(パパラギダイビングスクール3階にて)
2002年度実施分
2002/04/08(京橋ホールにて)
2002/05/24(京橋ホールにて)
2001年度実施分
2002/03/07(京橋ホールにて)

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